前につくった偽オープニングを更にそれっぽく見せるべく字幕をつけてみた。
実は最近finalcut-proを購入し、macの画像編集力を向上させた。
これがすごーーーーーーく面白い。
まだ使い方を勉強している最中なので機能の半分を使いこなせていないのだが、これはすごいソフトだ。
部落の風景やら日常生活やらをビデオカメラでとって、そこに音楽を乗せて編集した物を近所に配ってみたらすごく喜ばれた。俺も嬉しい。
結婚式のビデオ制作は田舎じゃレベルが高くない。これなら少ない仕事を独占出来る。田舎だからプロの映像制作者はいなかったから誰かの仕事を奪うわけでもない。
あー、これで飯が喰えちゃったりして・・・。
冬が過ぎれば小学校の入学式だの村祭りだのなんか仕事がありそうな気がするな。
Why are you so serious?
2009/12/29
2009/12/21
宇宙戦艦ヤマトは復活せずに沈没した。
PVを編集して作ってみた。
石原慎太郎は糞だ。
もう作家面するのはやめろ。
お前は物語をつくる才能がない。
宇宙戦艦ヤマト復活編の原案は石原慎太郎である。
見れば分かる。
兎に角糞だ。
まだ見て無い人はやめておけ。
筋の通らない矛盾だらけの設定。ご都合主義。客をバカにした媚びへつらい。道具に過ぎない登場人物たち。無意味な特攻と戦争賛美。
兎に角石原慎太郎の歪みまくった美意識と勘違いした正義感が全編を貫いている。
正直、吐き気がする。
宇宙戦艦ヤマトと言う素晴らしい素材でこれほどダメな話をつくれるのだから、石原慎太郎はクリエイターとしての資質を一片の欠片も持ち合わせていないのだ。
石原慎太郎、二度と映画作り物語作りに関わるな。
少なくとも俺たちの世界に入って来るな。
石原慎太郎は糞だ。
もう作家面するのはやめろ。
お前は物語をつくる才能がない。
宇宙戦艦ヤマト復活編の原案は石原慎太郎である。
見れば分かる。
兎に角糞だ。
まだ見て無い人はやめておけ。
筋の通らない矛盾だらけの設定。ご都合主義。客をバカにした媚びへつらい。道具に過ぎない登場人物たち。無意味な特攻と戦争賛美。
兎に角石原慎太郎の歪みまくった美意識と勘違いした正義感が全編を貫いている。
正直、吐き気がする。
宇宙戦艦ヤマトと言う素晴らしい素材でこれほどダメな話をつくれるのだから、石原慎太郎はクリエイターとしての資質を一片の欠片も持ち合わせていないのだ。
石原慎太郎、二度と映画作り物語作りに関わるな。
少なくとも俺たちの世界に入って来るな。
2009/12/06
交響組曲ウルトラセブン
交響組曲ウルトラセブンのDVDを買った。
収録曲は交響組曲ウルトラコスモ、交響組曲ウルトラセブン、ウルトラ警備隊の歌、ワンダバメドレー、そしてウルトラセブンの歌だ。
作曲者の冬木透さん自身が指揮をとり、演奏は東京交響楽団、他に合唱と中西圭三のソロがある。
素晴らしいの一語に尽きる。
目をつぶると昭和40年代の風景が浮かぶ。
一日の仕事が終わって静かになった町並みを夕日が照らしている。
大して綺麗な町並みじゃない。
バラックに毛のはえたようなあばら屋が建っていた。
薄汚れた壁に色の落ちたボンカレーのポスターが半分剥がれていた。
半ズボンにランニングシャツの洟垂れ小僧たち、膝は泥だらけ擦り傷だらけ。
家に帰ると、晩飯を用意している母親が叱る。それを笑いながら宥める父親。
あの頃だって日本人は忙しかったはずだ。それでも夕焼けを浴びながら父親たちは家路に着いていたのだ。
7時のNHKのニュースとその後の野球中継の視聴率が高かった。その頃には家族が揃って卓袱台でご飯を食べながらテレビを見ていたからだ。
忙しかったかもしれない。辛かったかもしれない。
しかし、家族には希望があったし夢があった。少なくとも団欒の時があった。
それが今はどうだ?
ウルトラセブンを作っていた当時の人々は、こんな世の中を予想していただろうか?
番組を見ていた子供たちは21世紀がこんな情けない時代になると思っていたか?
現実世界にウルトラマンはいない。ウルトラセブンもいない。
誰かが絶望の縁に追いつめられても彼らはやって来ない。
こうしている間にも誰かが死んでいる。それも経済的な理由で自ら命を絶っている。
我が国の自殺者は年間3万人強、今日一日で約100人が死んだことになる。
誰がこんな世の中を望んだか!
世の中はそんなものなのかも知れない。
そんな残酷で無慈悲な様が当たり前なんだろう。
我々はこういう現実を放置している。誰も変られない。
本当にこれで良いのか?
こんな様を子供にどう説明する?
こんな世の中を彼らに継がせて良いのか?
良いわけが無い。
我々は何故子供のころウルトラマンが好きだったか?
無償で人類のために戦う彼らに感動したのは何故だ?
誰かを守ること、そのために戦うことは良いことだと幼心に直感したからではないのか?
今の、この無慈悲で無様な世の中で良いと言うなら、ウルトラマンに胸を躍らせた自分を裏切っているのではないか?
ウルトラマン、ウルトラセブンが世に現れて40年以上が過ぎた。
当時のスタッフは番組を見る子供たちの健やかな成長を願って、我々が大人になることに絶望しないように、少しでも良いものを提供しようと工夫を重ねた。
円谷は、音楽的に少しでも良いものを提供し、子供たちが音楽的に豊かになるように、そう冬木に注文したと言う。
今回演奏した東京交響楽団のメンバーの多くが子供の頃、冬木の音楽に触れてやがて音楽の道にはいった。冬木や円谷の心は彼らに伝わり、40年後の今年、素晴らしい演奏となって形になった。
これをただ聴いて良かったと感動するだけじゃダメなんだ。
その感動した気持ちの通りに行動しよう。
誰もが助け合い、支え合う世の中にしよう。
ウルトラセブンのように、我が身を呈して愛する者を守ろう。
この10年、人の心を踏みにじり、生活を破壊し、人々から優しさと思いやりを奪った新自由主義者を許すな。
彼らは地球を侵略する異星人と同じだ。
平成になってからもウルトラマンの新シリーズが制作され続けている。
そのうちの一本にウルトラマンマックスがある。
その24話にメトロン星人が再登場する。しかもウルトラセブン8話に登場したのと同じ固体として。
彼はウルトラセブンとの戦いに敗れ、アイスラッガーで体を両断されてしまった。
しかしメトロン星人自身によれば傷ついた彼を手当てしてくれたのは、彼が麻薬をバラまいて支配しようとした北川町の人々だった。
40年後、メトロン星人は地球侵略の活動を再開するが、どうにものりが悪い。40年の間にすっかり北川町になじんでしまい、地球人の、いや日本人の堕落を憂い「侵略するまでも無い。放っておいても滅びる」とつぶやいているのだ。その様子はとても寂しそうだ。
ウルトラマンマックスに正体を暴かれ、巨大化して対峙したメトロン星人だが、戦うどころか、北川町の工業団地に沈む夕焼けを見つめて「地球の夕焼けは美しい」とつぶやく。
そして「地球から出て行け」と言うウルトラマンマックスに対して「言われなくても出て行くよ」と素直に去ってしまうのだ。
今の世の中は侵略者の宇宙人にとっても馬鹿馬鹿しい無価値なものだよと言う製作サイドの皮肉である。
悔しいが言い返す言葉が無い。
収録曲は交響組曲ウルトラコスモ、交響組曲ウルトラセブン、ウルトラ警備隊の歌、ワンダバメドレー、そしてウルトラセブンの歌だ。
作曲者の冬木透さん自身が指揮をとり、演奏は東京交響楽団、他に合唱と中西圭三のソロがある。
素晴らしいの一語に尽きる。
目をつぶると昭和40年代の風景が浮かぶ。
一日の仕事が終わって静かになった町並みを夕日が照らしている。
大して綺麗な町並みじゃない。
バラックに毛のはえたようなあばら屋が建っていた。
薄汚れた壁に色の落ちたボンカレーのポスターが半分剥がれていた。
半ズボンにランニングシャツの洟垂れ小僧たち、膝は泥だらけ擦り傷だらけ。
家に帰ると、晩飯を用意している母親が叱る。それを笑いながら宥める父親。
あの頃だって日本人は忙しかったはずだ。それでも夕焼けを浴びながら父親たちは家路に着いていたのだ。
7時のNHKのニュースとその後の野球中継の視聴率が高かった。その頃には家族が揃って卓袱台でご飯を食べながらテレビを見ていたからだ。
忙しかったかもしれない。辛かったかもしれない。
しかし、家族には希望があったし夢があった。少なくとも団欒の時があった。
それが今はどうだ?
ウルトラセブンを作っていた当時の人々は、こんな世の中を予想していただろうか?
番組を見ていた子供たちは21世紀がこんな情けない時代になると思っていたか?
現実世界にウルトラマンはいない。ウルトラセブンもいない。
誰かが絶望の縁に追いつめられても彼らはやって来ない。
こうしている間にも誰かが死んでいる。それも経済的な理由で自ら命を絶っている。
我が国の自殺者は年間3万人強、今日一日で約100人が死んだことになる。
誰がこんな世の中を望んだか!
世の中はそんなものなのかも知れない。
そんな残酷で無慈悲な様が当たり前なんだろう。
我々はこういう現実を放置している。誰も変られない。
本当にこれで良いのか?
こんな様を子供にどう説明する?
こんな世の中を彼らに継がせて良いのか?
良いわけが無い。
我々は何故子供のころウルトラマンが好きだったか?
無償で人類のために戦う彼らに感動したのは何故だ?
誰かを守ること、そのために戦うことは良いことだと幼心に直感したからではないのか?
今の、この無慈悲で無様な世の中で良いと言うなら、ウルトラマンに胸を躍らせた自分を裏切っているのではないか?
ウルトラマン、ウルトラセブンが世に現れて40年以上が過ぎた。
当時のスタッフは番組を見る子供たちの健やかな成長を願って、我々が大人になることに絶望しないように、少しでも良いものを提供しようと工夫を重ねた。
円谷は、音楽的に少しでも良いものを提供し、子供たちが音楽的に豊かになるように、そう冬木に注文したと言う。
今回演奏した東京交響楽団のメンバーの多くが子供の頃、冬木の音楽に触れてやがて音楽の道にはいった。冬木や円谷の心は彼らに伝わり、40年後の今年、素晴らしい演奏となって形になった。
これをただ聴いて良かったと感動するだけじゃダメなんだ。
その感動した気持ちの通りに行動しよう。
誰もが助け合い、支え合う世の中にしよう。
ウルトラセブンのように、我が身を呈して愛する者を守ろう。
この10年、人の心を踏みにじり、生活を破壊し、人々から優しさと思いやりを奪った新自由主義者を許すな。
彼らは地球を侵略する異星人と同じだ。
平成になってからもウルトラマンの新シリーズが制作され続けている。
そのうちの一本にウルトラマンマックスがある。
その24話にメトロン星人が再登場する。しかもウルトラセブン8話に登場したのと同じ固体として。
彼はウルトラセブンとの戦いに敗れ、アイスラッガーで体を両断されてしまった。
しかしメトロン星人自身によれば傷ついた彼を手当てしてくれたのは、彼が麻薬をバラまいて支配しようとした北川町の人々だった。
40年後、メトロン星人は地球侵略の活動を再開するが、どうにものりが悪い。40年の間にすっかり北川町になじんでしまい、地球人の、いや日本人の堕落を憂い「侵略するまでも無い。放っておいても滅びる」とつぶやいているのだ。その様子はとても寂しそうだ。
ウルトラマンマックスに正体を暴かれ、巨大化して対峙したメトロン星人だが、戦うどころか、北川町の工業団地に沈む夕焼けを見つめて「地球の夕焼けは美しい」とつぶやく。
そして「地球から出て行け」と言うウルトラマンマックスに対して「言われなくても出て行くよ」と素直に去ってしまうのだ。
今の世の中は侵略者の宇宙人にとっても馬鹿馬鹿しい無価値なものだよと言う製作サイドの皮肉である。
悔しいが言い返す言葉が無い。
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